堕ちてる人間は自分を信じないほうがいいかもしれない、と思った話です。
鬱と診断されてから
何回めの再スタートなのか??
知り合いの話を聞くと躁鬱じゃないかと思っているのだが、
もう3年以上経ち、仕事は3ヶ月とか半年とかで辞めてばかり。
しかし。
なんとか、また働き始めた。
多少は「強くてニューゲーム」になってるのだろうか?
この3年間ずーっと
「成長しない、できてない
だから何もできない。」
自分の中ではその無限ループだった。
一応、振り返ってみて頭では1年前よりも良くなっている部分があるのはわかる。
いや…
それは嘘だ。
友達から言われて初めて気づいたんだった…。
「自分の力でやってきた」とか、「できる自分」と思いたい情けなくてアホみたいな自分が確実に存在する。
こうやって文章にしてみると本当に残念な事この上ないと思う。
:(;゙゚'ω゚'):
でも現状を知るには必要なことかもしれない。
頑張ること「だけ」は人一倍してきたつもりなんだけど、自分しか信じてなかったせいなのか、限界がくるのがとても早い。
わからないことは人に聞かないつもりではないんだけど、全然聞いてなかったんだろうな。
「頑張り」じゃなくて「強がり」だったんだろうな。
勢い(しかない)とかも当てはまりそう。
堕ちてる時は0〜–50で(もっと下かも!?)
それ以外は80〜120
な感じで、その間がない感じなんですよね。
1〜79がない。
堕ちてる期間を抜け出すのが大変で、それ以外はけっこう普通に頑張れるから、どう思われてるんだろう?って思ってしまう。
まだ残念な話は続くけど、このあたりは全部、そう思ったことがある人にしかわからないと思う。
ジャイアントキリングで、
「90分、全力で走れる選手なんていない」っていうセリフがあるんだけど、気づけば自分は全力疾走しかしてない。
全力疾走って、
頑張ってくれてる、よく気づく、とかって思われて心地いい部分は確実にあるんですよね苦笑
でも確実に自分に嘘ついてる。
そんなに全力疾走ばかりなんてしたくない笑
だって楽したいもん笑
苦しいのは嫌だもん笑
で、自分はそんななのに楽してる「ように見えて」何の実績も残して「なさそうな」人は心のどこかでバカにしてきた。
それは自分では自覚がなかったことだけど、深い付き合いがある人からしたらそう見えてたらしい。
CMで「世界は誰かの仕事でできている」って言ってるけど、前の自分は分かったフリして、
「ほんの一部の」人の仕事でできてるってことでしょ?って思ってそう。
・・・
こんなんだから病気にもなるんだろうな、と、ものすごく思う。
いつぞや、鬱は創造的自己破壊というブログを読んだけど、そんな風にレベルアップしていけるのだろうか??
でも、今年に入ってから元気な時は色々と実験をするようになった。
例えば「頭がまわらなくて何も考えられない時に、人と話したらどうなるのか?」
というわけで、本当に何も考えずに思ったことだけを口にして会話してみた。
というよりは、それしかできなかったからやってみたわけです。
結果はというと、自分としては自分ばかりが話してるように思ったんだが、意外とそうは受け取られずに、普通に話してると思われてた(らしい)。
今までは自分のことを、あまりにも喋らなすぎたのか?
他にも
頼まれた作業を少し手を抜いてやってみたらどうか?
(100%じゃなくて80%くらいに下げたイメージ)
あえて自分でもできることを人に頼んだらどうか?
なども、思ってた以上に悪くない。
むしろ何も起きてない、言われてない。
少しは創造的自己破壊に近づいたのか?
こんなあたりも「できる自分でいたい」表れか??
ほんと、ひとつずつちゃんとやろう。
また明日もちゃんと職場に行こう。
ホントそこからだ。
32といういい歳してバイトですけど。