実は高校までサッカーを10年ほどやっていました。
地区選抜にも選ばれたこともなく実績と呼べるものは何1つとしてないヘボなプレーヤーだった自分だが、色々なことをサッカーに置き換えると色々とわかる感じがしている。
ちなみに自分がいた地区の選抜は某山田高校の二軍と試合して、6-0とかで負けるようなレベルでした笑
余談でした。
さて、今回の話のきっかけはサッカー元日本代表、遠藤保仁選手のインタビュー記事を読んだことでした。
1番、印象に残ったのは以下の部分。
あえてダッシュをしないように意識しています。理由は簡単で、ダッシュをすればボールをコントロールするのが難しくなるからです
試合で勝つために(もしかしたら楽しむために?)ということなのだろうが、日常で潰れないためにも大いに活かせる内容だと思った訳です。
この本が発売されるということでのインタビュー記事でした。
今までに自分がやってきたようなヘボなサッカーでも、色々なチャレンジもすれば、手堅くというか、地味な基礎練や走り込みも当然のようにしていました。
どちらも大事だというのは身にしみてわかっているつもり。
試合では何が起こるかわからない。
こないだのチャンピオンズリーグ決勝戦だってそう。
やってみればこそ、相手のミスに繋がることもあったりする。
基本通りがハマっても、超絶に上手くても勝てないときは勝てないし、勝てるときは勝てる。
余談ですが、中学の時、大して強くない自分たちが県大会優勝した学校相手にほぼ完璧に自分たちのペースで試合を進めれたこともある。
結局、シュートはバーを叩くなどして点を取れなくて、カウンター一発でやられた訳なのですが…苦笑
(それは結局のところ、負けのフラグで弱いということなのかもですね…)
話が逸れていきそうでした。
やれることはやるという「人事を尽くして天命を待つ」的なことは、ずっと忘れてしまっていたように思います。
鬱になってから頭にあるのは「どうせ何もできない」ということばかりで、やれることは全部やるどころか半分もやってないと思う。
「人事」には泥臭いこともある。
サッカーは好きだったから、情けないとか気にしないでやってこれたように思う。
今の状況は、情けないような状況なのに、これ以上情けないことになりたくないからと思って一歩一歩進むことはあまりできていない。
4年もまともに働けてない焦りもあるから、やらなきゃと思って何歩か一気に進みたくなってしまう。
サッカーなら1年前にできなかったことができるようになったことも確認ができた。
指導者がいた訳ではないので、本当に為になる練習をしていたかどうかはともかく、積み重ねはできてた。
だから曲がりなりにも、やってきたことはあるのだと思った。
・・・
こんなことを記すのはものすごく大げさな気がしてならないです。
そもそも、まだまだ自分より大変な状況の人がいるのにこんな日記を記していることが大げさか笑
話を戻すと、約10年間やってきたサッカーは、楽しかったという以外にもやってた意味があったのかもしれない、と思い始めてる。
ということは。
自分のやってきたことの意味を無くしてるのは自分なんだな、と。
そりゃあ焦る訳ですよね…苦笑
鬱になりそうな頃から「とにかく早く学ばないと」、「今すぐにできないと」と勝手に思い込んで文字通りに四六時中がんばってました。
夢の中でもがんばってた訳で笑
ノイローゼじゃん!?って友達にも言われたこともあります笑笑
それでいて
周りからはどう見られてるのかはわからないけど、完全に成長しない人だと思い込んでいたのだと思う。
学びかけたものも、他の色々なことに埋もれて定着しないうちに捨ててしまってるものが多くあった気がするから。
たぶん。
とにかく早く。
とにかく沢山、吸収したかったから苦笑
アホですよね。
生きていたら何もしてない、なんて有り得ないか…??
ちゃんと一歩一歩進んでる。
進んでることはどこかで確認しないとダメとは思うけど。
それができれば焦らなくなるだろうか。
どうしたらできるのかは、まだわからないが
ゆっくりやります。
さて、自分はできるのだろうか??
今日はこのへんにしておきます。