今回はネガティブに支配された状態で記しているので、
事実とは違うことを記している可能性は十分にあり得ます。
(特に今回は)
でも、自分がやってきた事の確認の為にも
一度、記しておきたかったのです。
さて、
何の話かと言うと、
去年、2020年9月にぶっつぶれてから、
また仕事が続かなくなってしまいました…
それまで2年ほど続けて働けていたのに。
ま、休んだ事はあるし…
35にもなってバイトかよ!?と
思わなくもなかったですが。
いざ、仕事を辞めたり、
毎日、具合が悪かったり、
体調の少し良い日に実家に帰る事になったりしました。
6年前の絶望感が蘇ります。
やっぱり何も出来ないのか…と。
最近は多少マシになっていたのに、
「やっぱりダメなのか…」
「何も出来ないのか…」
という思いに簡単に支配されてしまう。
理由は2つ。
① 9月に色々と言われることがあったから。
② ①の経緯で自分が悪いとしか思えないし、思われていると感じるから。
と書いても何のことだかわかりませんよね…
まずは①についての記録。
この2年ほど、体調も良くなってきていたと感じていたので、やりたい事を再開していました。
2019年は慣らし運転がてら?少しずつ動いていたのですが、
2020年の4月頃からかなりハイペースになりました。
やりたい事というのは、地域の人が話せる場としてのカフェ・バーを作りたいという事。
そして、それを手伝ってくれていた友人がいました。
手伝ってもらってる分、友人の仕事も手伝いました。
この2つにおいて、わからない事、出来ない事だらけだったが、やった事がない新鮮な事もあったし、学べるのも嬉しかったので、しばらくは問題は少なかったのです。
が、バイトもしながらだったので、ほとんど休みもなくとにかく色々と動いてました。
やりたい事をやる、ってそういう無茶しないといけない場面は出てくるだろう、と思ってたから頑張って頑張って頑張りました。
その動き方に関して、友人は元々?のポジティブシンキングもあるし、好きな事をやってるので苦にならないらしい。
手伝ってもらって、大変な思いをさせてるよりは、ずっとよかった、と思っていました。
でも、自分はやらなければいけない事が次々と出てくる事。
(これは当然)
頭の整理をする時間を上手く作れなかった事。
他の友人とも全くと言っていいくらい、会ったり話したりできなかった事。
等々から徐々に徐々に疲弊しました。
息抜きに音楽を聴こうと思っても全く息抜きならなくなってしまい、むしろ、息抜きなんてそんな事してる時間あるのか?と思うくらいでした。
過去にもあったように、四六時中、気を張りっぱなしになり、一旦落ち着けるタイミングとか、休日があると、翌朝には身体が重くてどうしようも無い日も出てきてしまったのです。
ここで修正ができればどんなに良かったか…。
今思えば、
「ペースが早くて無理」とか
「明日は休みにできないか?」とか
自分から伝えられる事があったと思うのです。
実際に聞いてもらえたかどうかは、不明ですが、
おそらく何かしら変わったのではないかと思います。
少なくとも誰かに弱音を吐いても良かったかもしれないです。
そんなかんじで、具合悪い日が出てきても友人は手伝ってくれていまして、
おかげで色々と施工や準備は進みました。
友人の仕事も進みました。
予定よりは遅れていましたが。
ここまでの話だけなら、何とでもなります。耐えられます。
特に、最初に鬱と診断された時から5〜6年ありますから色々と学んだ事もあります。
ですが、「1つ覚えたら1つ忘れるよね、ハハっ」みたいに笑われる事は少なくなかったと思うし、「その友人ができるのだから他の人もできて当たり前、逆に君たちは〇〇だからできない」のように言われる事も少なくなかったように記憶してます。
そんな事を言われ続けたら、教えてもらったことを聞き直すのも気が引けるようになってしまっていたし、ものすごい消耗するようになってしまいました。
楽しい事がなかった訳じゃないのに…。
かなりの時間と労力を割いて手伝ってくれてるのだから、とにかく頑張りました。
それが4〜5ヶ月続いたら、朝、起き上がれなくなってしまいました。
悪夢再びですね…
4月5月とブログ書いてる日もあるのにね苦笑
しかもポジティブな事も記しているというのもウケますね…苦笑
ものすごく手伝ってくれたのは本当に有難いと思う。
友人にも無理させてたのかもしれないとは思う。
だから相手が悪いとは思いたくない。
けど、最終的に体調がひどくなった時に
延々と説教なんてしなくてもいいんじゃないか、とも思った。
何かをやるには死ぬ気でやらないといけない時があるとは思ってたけど、それに耐えられなかった。
自分が不甲斐なかった。
ただ、それだけのようにも思う。
結局、自分勝手な話なのだろう…
実は少し②の話に入り始めています。
自分が悪いとしか思えないし、思われていると感じること。
①の事を客観的に聞いている身近な人と話すと、
やりたいの?やりたくないの?
やりたいのなら進めるしかないよね
という話になりがちでした。
間違ってない。
間違ってないけど、
そうじゃないとも思えてなりませんでした。
問題なのは、人に言われる事じゃなくて、
自分の中がネガティブに支配されてる事。
「あれだけ頑張ったのに…」
「あれだけ手伝ってもらったのに…」
と後ろに引っ張られてしまう。
のに…で終わらせている通り、
まだできていないだけ、なんだけど、
頭ではそう思えても、身体はついてこない。
今年、2021年は7月以降は特に具合の悪い日が多く、
暖かい時期にこれだけ具合悪いのも初めてでした。
加えて、アホな話ですが、
友人が怖くて、もう関わりたく無いと思ってる部分もあったりするのです。
なんて恩知らずなのか…とも思う訳です。
散々、教えてもらって必死こいて作ったベンチやテーブルですら、ネガティブなイメージがつきまとって最悪以上に最悪と思ってしまっている部分すら確実にあります。
本当にアホみたいな話…
自分でもそう思いました。
じゃあ、全部やめて何処へでも逃げればいいとも考えましたが、
それでいいのか?とも思うのです。
何なんだろう…
結局、メンタル病んで鬱状態になる人間なんて、
こんなもんなんだろう、と思ってしまう訳です…
変えられる可能性もあるだろうに。
2021年8月現在、定職にはついていません。
こんな自分でも
時々仕事を振ってくれる人が2,3人います。
本当にありがたい。
それ以上にありがたいと思います。
ほぼ毎月、赤字ではありますが、
おかげさまで、
なんとか生き延びる事ができています。
心配してたまに様子を見にきてくれる友人もいます。
本当にありがたい。
電話で話す遠方の友人もいます。
本当にありがたい。
今回、ぶっつぶれて得たものはこれかもしれません。
前よりもだいぶ色々な事に対して、有難いと感じるようになったと思っています。
今までだったら、人に頼ってない事も頼ってみたり、ちょっとずつ実験していたりもします。
「やっぱりダメなのか…」
「何も出来ないのか…」
その思いに支配されない為に
音楽や本の力を借りる事も覚えた。
これは最近の話じゃないけど、
レベルアップしていると思う。
ネガティブが頭の中に湧いたら、とにかく本や音楽に意識を戻すというマインドフルネス的なやり方?を覚えたし、これって、もしかすると普段、集中する時にも使えるんじゃないか?とも思った。
Twitterに意見を上げてみて、どんな反応が来るのかと試したのも気が休まる事だった。
YouTubeもかなり参考にした。
体調の悪い時は全然頭に入ってこないけど笑
正直、友人に手伝ってもらってるのは
ついて行くのがマジでしんどいのは間違いないんですが、
時間が経つと、あの時の話はこう言う事だったのか…
と思う事が少なくないのです。
(それで腹が立つこともありますが苦笑)
これって、たぶん自分の限界を引き上げてもらっているから
その時は続ける事が出来なくても、
一度やった事がある事はイメージしやすかったりするのかな?と思います。
それもコンフォートゾーンを上げていく事なんですかね?
悪いことばかりではない、
頭ではそう思います。
気持ちでは思えてないけど、
たぶん、事実。
この事実を積み重ねていければいいのかもしれないですね。
体調悪い日が多すぎて、生きていけると思ってない部分もある訳ですが。