初めのうちはできないのは当たり前なんだけど、自己肯定感が低いと何故か簡単に「自分はダメなんだ…」と自分で自分を全否定がちw
昔はそうだったww
落ちる歯止めがきかなくて、振り出しに戻る。
そんな事ばかりを繰り返していた。
感覚的には、振り出しよりも戻ったような気もしていたと思うw
そりゃメンタル病むに決まっている。
文字通りに徒労に終わる訳だから。
自己肯定感が低いと上手くいかない的な話はメンタルの事を調べていると意外とよく見かける話。
自己肯定感が低いと、自分で自分の評価基準を持たないことが多いらしい。
なので、他人に言われたことに一喜一憂しすぎたりしやすいようだ。
(ざっくりすぎ?)
40歳近くなって少しは図太くなったのか、ダメだった事の中でも良かった部分、悪かった部分、まあまあな部分と分けていく事を覚えられた。
どんだけキツいことを言われてようと、何かしら良い部分もあったり、反面教師にできることも意外とあったりはして、全くの無価値ではないんだなぁ、とも思う。
こんな見方もできると思う。
加えて、できなかったのならハードルを下げてやってみれば意外とできる。と今の自分なら思うのだけど、昔の自分は根拠の無い自信ばかりあって、そんな工夫なんてしなかったのも良くなかったんだろうな、と思う。
最短で何かしらの良い結果が欲しかった。
結局、力技みたいなことばっかりやることになり、消耗も激しかった。
だから、最後まで辿り着けたものが少ないし、辿り着けたとしてもかけた労力に対して割に合わないと感じるような結果が多かった。
プライドが高いと言われることもあったけど、全然ピンとこなかった。
今考えると、それよりも頭の中でのイメージをちゃんと見ようとしてこなかった。
曖昧なイメージしかできてないものは、イメージしたとは言わないのだろうし、イメージ出来ないことは出来ない。
朧げなイメージしか掴めていないから、やってれば見えてくるだろう、と思いながらやってるくらいだから、当然人に伝えることも難しい。
だからなんだろうな、いつぞや自分がやってることは「実験」と言われたのは。
しっかりと準備、下調べをしてからやるのなら話は別かもしれないけど、自分の頭の中にしかイメージはないから、それを人に伝えるだけでも一苦労だと感じてしまっていた。
なので、自分から手伝って欲しいなんて言う気にはならなかった。
人に伝えようという努力もしてきていない訳だ。
この時点で当てにできるのは思いついた時、喋った時の勢いだけしかないw
となると、立ち返る場所が何もない。
そりゃ時間のかかる事は無理だし、1人で無理なことは無理、と、今なら思えるww
でも、この曖昧なイメージを具体化する作業というのは手間がかかる。
少なくとも、今の自分はそう思ってしまっている。
でも、好きな音楽でも同じようなことが言えそうだ。
曖昧なイメージなままやってるんだろうな…と思うようなバンドは意外と多い。
アマチュアであればあるほどそう。
熱量はあるんだけど…。
必要なのは具体化なんだろうな。
曖昧なままだと書き出すことすらやろうと思えない。
違う、逆か。
曖昧だからこそ書いてみて、違和感を感じる部分を考え直したり、調べ直したりしないといけない。
そういうことだと思う。