とあるVoicyを聴いて思ったことがあるので少し書いてみる。
自然の流れに順応することを「自分の時間を取り戻す」と呼ぶ不思議。 - 鳥井弘文
ここで言う自然の流れとか、自然というのはいまいちピンとこなかったので、もう一度聴いて考えてみようと思うけど、田舎暮らしの利点の一つが「自分の時間が作りやすい」であるのは間違いないと思う。
その理由の一つは物の誘惑が少ないから。
それは店が無いという事なんだけどww、多くの現代人にとっては間違いなく不便なんだと思う。
何故なら、店で多くの品物を見ながら「どれにしようか?」と選択することは町場と比べたらかなり難しいから。
色々な店舗を回ることも難しいw
じゃあどうしてるかと言えば、必要な物リストを作っておいてある程度リストが貯まったらネットで買う(Amazonのセール、楽天スーパーセールなど)、札幌とか隣町に用事がある時に買うようにしている。
これを不便というか、自分にとって本当に必要なものかどうかを選別する時間と解釈するか、の違いはものすごく大きいと思う。
何故なら、欲しいと思った物の中のそれなりの数はなんとなく欲しいだけで時間が経つなどしたら欲しくなくなる物だから。
何か買う必要が出てきた時も、さらに追加で調べることが出てくる。
どこで買えるのか?は間違いなく調べないといけない。
結果的に、この作業の一つ一つが自分にとって本当に必要な物かどうかを選別したり、優先順位をつけることになっている。
おかげさまで買う物は減り、出費はものすごく減ったのにも関わらず、生活の満足度は上がってるように思う。
記事のタイトルにもある「自分の時間」の話もすると選別や優先順位をつける時間というのは、まさしく「自分の時間」を得るために必要な行為。
言い換えると、自分の欲求はどういうものなのか?と探っている時間とも言える。
「必要」とか、「もう少しこういう風にできたら良いのに」と思うことは自分からスタートしてる欲求であるのに対して、物を見て欲しいと思うことは自分の外からスタートしている欲求だから。
もう少し書くと、お店が勧めてくる物や機能は、あればたしかに便利かもしれないけど、使う機会がものすごく限られていたり、自分の生活の中で使おうとしたらわざわざ別の準備をしないといけない事が意外と多い。
それを逆に自分が欲しい機能は〇〇という部分をハッキリさせてしまえば、余計な誘惑に惑わされることも少なくなる。
結果として、自分スタートの欲求というのは満足度が高くなりやすいと思う。
何故なら自分でコントロール可能な範囲が広がるから。
さらに副作用的に自分についての理解はどんどん深まる。
この副作用は今のご時世、ものすごい大事な事だと思う。
これらの作業や考え事は初めはやらされ感もあるかもしれないが、結果として自分にプラスになっている。
他にも、物を買う量が減ったということは、整理したり捨てたりするのに使う時間も労力も少なくて済んでいる。
このように、いざ、物が買いにくい生活をしていると意外と何とでもなる。
何とかなるなんて最低限な意味よりは、むしろプラス!大いにプラス!!
まぁ、ネットが無いと難しいことではあるし、慣れも必要かもしれない。
ど田舎なのにスーパーが近いところにある立地だからできている事だとも思う。
(品数は少ないけど)
最新の服やデバイスが欲しいとか、美味しい飲食店に頻繁に行きたいとか、こだわりのある人には難しいかもしれないが、趣味は意外と何とでもなる。
マンガや音楽も今はネットで入手可能。
自分はマンガもCDも中古で買うことがかなり多かったから、作り手に回るお金は増えてるかもしれない?のも良い事だと思う。
マンガは電子版なら割引が意外とあるし。
結果的に某古本屋にはほとんど行かなくなった。
ま、隣町にしかないので物理的にも行きにくくなったのではあるけどw
音楽は月額いくらのサブスクだから、その分、Tシャツやパーカーなど物販に手を出せるようになったし、ライブにも行きやすい。
そういった満足度も増えているように感じる。
ここで書いたことは街でも出来ないことはないと思うけど、誘惑に弱く、自己管理の出来ない自分はど田舎に住んでみて出来た事だと思う。
田舎に住むようになったのも自分の意思ではなくて、成り行きなんですけどね笑