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話してて思ったことメモ。
集団と個人の関係性がハッキリと説明できないといけないのかもしれない。
集団の時代から個の時代への過渡期ぽいけど、世の中はまだまだ集団の時代。
日本だけ?
一昔前までの世の中では、会社の社員である事、お祭りの準備などに関わる地域の一員である事など、集団の中にいる事が個人のアイデンティティへ、ものすごい影響を与えていたように思う。
つまり、自然と安心感も得やすかった。
が、おそらく今は、アイデンティティの一部にしかなっていない。
加えて、進学や就職で移住を経験した人ならば、地域の一員としてのアイデンティティなど簡単に変わりえるものと考えていると思う。
(そんなもの無いと考えてもおかしくない)
逆に、地元を離れていない人は、地域の一員としてのアイデンティティは切っても切れないもののように感じてそう。
田舎がいいと思う人たちは、変化の少なそうな集団の中からなら、個人のアイデンティティも簡単に手に入りそうに見えているのかもしれない。
一昔前なら、集団に対する反抗(グレるとか)ですらアイデンティティの確立に一役買っていたのだと思う。
が、今はSNSで似た価値観の個人と個人が簡単に繋がれそうだから、あえて反抗までする必要は少なくなった。
集団の和を大事にするメリット。
高度経済成長への影響も大きいと思うし、日本では災害があっても政治不信でも、暴動に繋がらないのは、そのおかげなんだろうと思う。
たぶん、行き届いた義務教育のおかげ。
デメリット
いじめというのは、集団の和をおかしくしそうな者の排除という側面が強いのだろうと思う。
共通の敵(のような存在)を作る事で集団の和が強くなったように勘違いするのもありそう。
たぶん、それで得られるものは集団の安心感。場合によっては集団の外の誰かの命よりも大事に見えてしまうのかもしれない。
個人個人を守るために集団があるはずなのに、集団を守るために個人が存在するかのようになる。
これら全て、変化できない「個人」の良い悪いの話ではなくて、仕組みの話な気もする。
上の世代は
飲み会での関係性とかも含めて、
よく分からないけど、深く(濃く)繋がってる。
(いい言葉になってない気がする…)
これを今の人は気持ち悪く思いがち。
逆に
今の人は
目的や理由で繋がりたい。
(少し違う気が…)
飲み会の必要性を感じない。
これを上の世代は気持ち悪く思いがち。
今の人はコントロール不可能な部分に対する違和感?恐れ?みたいな部分があったりするのか。
今のご時世、学校や地域での関係性だって、たまたま同じ年代に、たまたま近くで生まれただけだから大事なものじゃないと考えてる人もいたりするみたい。
一昔前までは、半永久的に見えるような強固で固定的な関係性が大事だったんだろうな、と。
仕事の成果というのも単に目標達成ではなくて、半永久的に続きそうな強固な集団にしていくための利益をもたらすことが良しとされていたように見える。
そして、集団の中で自分の立ち位置が決まっていく。
(だから集団は残ってくれないと困る?)
つまり、承認欲求も自然と満たされる。
所属の安心感とも言えそう。
例え今より良くなる可能性が高くても、安心感には変えられない気がしなくもない。
そう考える人がいても全然おかしくないと思う。
これらは年功序列の影響?
平和な時代の価値観?
=上の世代からは成果主義とか、目標達成のために集団を作ることは弱く見える?ドライに見える?
上の世代の人で、今の人の繋がり方は後に残るのか?と言う人がいたけど、たぶん、残すことが前提の繋がり方はしてない。
その時その時の状況で、どんな人たちと関わるか、が大きく変わるのが大前提になっているんだと思う。
(社員じゃなくて、プロジェクトメンバーといったような)
それが実現しやすいネットもSNSもあるし、仕事でもなんでも分野が細かくなり、増えているから。