メタル、音楽、日々のこと。

なんとか生きている人と音楽

鬱から完全復帰すべく、頭と気持ちの整理の為にも色々書いてたりします。あと時々音楽の話。

政治に関して広まってほしいこと

 

 

 

 

参議院選挙があるので、政治について思うところを記してみました。

 

 

上級国民よりの考えに見えるかもしれませんが、

気にしているのは2点です。

 

・上級国民と庶民では視点が違いすぎるのではないか。

 

・上級国民側は実際のところ、世の中を動かしている人たちなので

学べることはあるのではないか。

(おそらく上級国民側から歩み寄ることはないはずなので)

 

 

お付き合い頂ければ嬉しいです。

 

 

 

 

 

 

 

世の中的に上級国民と利権はセットで悪いものと見なされていることが多いですよね。

 

いつも思うんですけど、ある意味では正しいし、ある意味では間違いだと思います。

 

たしかに、私服を肥やす的な側面はあるのかもしれません。

その意味では上級国民=利権=悪と定義できるでしょう。

 

ただ、上級国民はその業界のトップとまではいかなくても、集団において上の立場にいる人間が多いのだと思います。

となると、自分達の業界を守るように動くことは、むしろ上の立場の人間としては正解。

つまり、全く持って悪いことではないんですよね。

 

本当の政治の問題は、その上級国民のライバルとして庶民の利権をまとめてくれる存在がいない(もしくは少ない、弱い)事なのだと思ってます。

 

 

 

 

昭和〜平成初期あたりまでは、庶民の代表がいなくても割と上手くいっていたのでしょう。

大企業が経済を引っ張っていってくれることで、経済成長も遂げました。

つまり、上級国民たちに利権があろうと何だろうと、がんばって経済を回してくれていたのだと思うのです。

大なり小なり庶民もその恩恵に預かれた訳です。

 

日本列島改造論なんてものも出てきて、適用されたように、国のインフラ整備や、車を始めとするモノづくりを最優先にすることで大いに経済成長を遂げた訳です。

車を日本の一大産業にするために道路を整備していったともいえる話は、先見の明があったというか、時代の流れを掴んでいたとも思うのです。

 

 

これは決して、庶民は頑張っていないという話ではないです。

むしろ庶民の誠実で身を粉にするような実働がなければ成立し得ない話。

上級国民がやったのは大きな流れ、仕組みを作った、ということ。

(仕組みが無ければ、庶民がどれだけ頑張ろうと、あまり意味がなくなってしまうので。)

 

しかし、平成に入り、この仕組みの賞味期限が近づいても、過去の栄光を捨てられなかった日本は、政治と庶民の距離も離れたまま。

 

その間に、庶民と上級国民との間に大きな違いができてしまったのだと思っています。

 

僕が感じている違いは以下の3点です。

 

物事を見ている視点や、力を注ぐポイント

建設的な話ができるかどうか

人との連携の上手さ

 

 

 

 

違い① 物事を見ている視点や、力を注ぐポイントの違い

 

 上級国民側は、プロジェクトを作り、回す側に立っている人も多いだろうし、過去にやってきた人も多いだろうと思います。

現場と管理側とか、部署同士での調整など、広い視点で物事を見ないとやっていけない役割を担っていることも多いでしょう。

 

 対して、庶民側は自分の(部署の)ことしか見えていないことが多いから、良い提案も出来ずに、泣き寝入りにならざるを得ないことも多いのだと思います。

見えてない世界があることを知ろうともしない訳です。

得てない情報があるのなら、どんなに優秀な人でも判断を間違えるということを知らない。

そのくせ、真実を公表しろと求めてくる。

真実は、会社全体の最適を見たときに自分の部署が泣きを見ないといけないことだっだりもするだろうに、見えている世界が狭いから、意味なく自分(たち)ばかりが損をさせられていると勘違いせざるを得ない。

上の人間も正確に説明できないのなら、この文章内の括りでは庶民側ということで、管理する側の視点しか見えていないのでしょう。

もしくは、自分達の話しかしない視野の狭い人間には理解できない内容と認識されているのかもしれません。

 

 

 

 

 

違い② 建設的な話ができるかどうか

 

 偏見がかなり入るかもしれませんが、建設的な話ができる人間は、社会的に立派と見られていたり、役職についている人間が多いと思います。

(あくまでも多い印象という話)

 

 単に話し合いができるというだけでなく、分からないことを理解しようとする姿勢、仕事でも人やプロジェクトをまとめていたりしていて、物事を進めていく力も強い。

それも日々進歩しているのだと思います。

 

 これらのことから、上級国民は自ら動く人たちが多いと言えます。

 

 

 対して、庶民のほうはと言えば、

机上の空論しかできない者が多いのではないか?

机上の空論ならまだしも、酷い場合は文句。

挙句の果てには暴言などの攻撃に転じる。

 

 机上の空論も文句もそのままでは十中八九、何も生み出すことはありません。

 

 少なくとも、このような傾向があるのだと見られているのだと思います。

少し考えてみてください。

そんな人間の言うことを聞きたい人がいると思いますか?

暇な人間であれば、文句から様々な意図を読み取って

何かしら次の一手を示す事も可能かもしれません。

 

 残念ながら上級国民という人たちは、会社の社員たちや、各界の何かしらを背負っていることが多いので、建設的じゃない話に割く時間も労力もない。

本来、上級国民にできないのなら、庶民側が自分たちで何とかしないといけないのだろうけど、文句という形のままでは建設的な話に持っていくこともできない。

良くて憂さ晴らしをしてスッキリするだけではないでしょうか。

スッキリできればまだマシかもしれませんね。

 

 

 

 

 

違い③ 人との連携の上手さの違い

 

求められる役割の都合上、他の部署や会社の人たちと関わらなければいけない側面も多々あるでしょうが、そこで培われた関係性は政治の世界にも適用されると考えます。

 

 ここで言う関係性とは、価値観などの抽象的な話もできるような深い関係性を指します。

さらに前提として、自分の考えていることを的確に言葉にして伝える能力が必要になってくるんです。

 

 抽象的な話というのは誰しも、やっていればできるようになることなのですが、日常の生活の中では機会がものすごく限られてしまう。

ピアノやギターを始めて34日では上手くなれないのと同じなのです。

 

 やりたい事や進路、気になっていること、と言った自分のことに関しては、多くの人がなあなあにしてしまっているので、真剣に話す機会が少ないんですよね。

僕の場合もそうでした。

 

 でも、これが良い高校、良い大学に進学できたりすると、できる機会が増えるみたいです。

友人と接していて、物凄く感じました。

おそらく、やりたい事や、進路、気になっていることを追い求めて来ている人も少なくないだろうし、考えさせられる機会も増えてくるのでしょう。

 

 そういう意味では上級国民の子どもの特権になってきそうな話ではあります苦笑

 

 そんな深い関係性を築ける人間同士が話をしたらどうなるか?

まあ、愚痴では終わらないでしょうね。

 

 価値観まで含めた深い話をしてるシーンなんて、ドラマとかでは良く見かけるシーンなんですが、聞く側が話の意図を汲み取らないとできないことだったりもするんですよね。

なので、当然、相手を選ぶことになります。

話の意図を汲み取ってくれる人は、もちろん庶民の中にもいるんですけど、組織論的なことが分かっていなかったり、正論を選択しがちだったりで敵を作りやすくなってしまっている印象です。

もう少し俯瞰的に物事を見れる人が増えてくれたら違うんでしょうけど、それはそれで経営陣をヨイショしてる的にとられてしまうんでしょうね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ここまで、一方的に上級国民を誉めるように書いてきてますが

そのような意図は全くありません。

 

 あのマザーテレサですら、実は酷い人物だったという話があるくらいで、

万人にとっての聖人君子なんて人物は歴史上ですら何人いたのか?というレベルになってきます。

そのような宝くじよりも出現確率の低そうなものが現れて何とかしてくれると期待するのが最善なのでしょうか。

戦国時代や幕末みたいに内乱状態にでもならない限り、現れない気さえします。

 

 庶民側と上級国民の根本的な違いはここにあると考えます。

自分ができることに意識を向けて、何かをやっていくかどうか

という点ですね。

そして、人に向けるのは受け身で丸投げな期待ではなくて、提案だったりします。

 

 

 

という訳で

提案として庶民側に出来ることを5つほど挙げさせてもらいます。

 

 

①既存の利権がイヤなら、違う団体を立ち上げればいい。

②身近な存在を大事にしていく。

③建設的な話ができる人になっていく。

④自分のことを知っていく、言葉にしていく。

⑤世の中の仕組みについて見ていく。

 

どれも即効性のあるものではありません。

大きな話から個人で出来ることまでありますが、

個人の生活から最終的には政治にまで効果のあるものだと考えます。

(ハードルの低さは⑤①かと思います)

 

 

 

①既存の利権がイヤなら、違う団体を立ち上げればいい。

 

 実際に国政レベルでも実行しているのが、

例えば、維新の会であり、れいわ新選組ですよね。

 維新の会は自民党の中心人物たちよりも少し下の世代が集まった、少し若い自民党のような側面もありますが、やる気のある人間で政治を動かしていこうというような姿勢が、逆にやる気の無い人間に支援は要らないかのような過激な?印象もあったりします。

 れいわ新選組に関しては、まだ力も無く、無知な部分も多く夢想家的な側面も見えます。

ただ数多くの著名人が偉そうに政治のことに言及する中、自ら行動を起こし、戦いを続けているという点だけは山本太郎氏を尊敬してます。

 

 自民党と仲のいい某経済団体の代わりになるようなものを作って少しずつ勢力を削いでいけばよいという考え方もあるかもしれません。

本当に国民が自民党に反対なら、某経済団体傘下の企業に対して不買運動なんてあってもいいと思うんですけどね笑

無いってことは反対意見というのも本気じゃないという事なんですよね、たぶん。

 

 無謀な話ではありますが、新しい産業からなら可能かもしれませんし、地方で商工会議所の勢力を削ぐことは可能かもしれません。

 

 あくまでも僕の個人的な見方です。

上で庶民側は文句が多い印象と書きましたが、

文句を徹底的に叫び続ける団体なんかもあってもいいのかもしれません。

たぶん、既にありますね。

そして影響力は言わずもがな、かと笑

 

 

 

 

 

②身近な存在を大事にしていく

 

 家族に限らず、自分にとって身近な存在を大事にするという話です。

自分の住んでいる町、勤めている会社、地元の商店、友人

なんでもいいと思うんです。

この話は、大事にしているものがない人からは建設的な意見も出にくいと思うからです。

 

 先日「神社、お寺がキレイにされている町は寂れてないんじゃないか」という話を聞いて、なるほどと思いました。

 

 多くの町民にしっかり意識されているのだと考えれば、その地区への愛着なんでしょうし、実際に手を動かして掃除等、キレイに整えてもいる。

そんな町は、一部かもしれませんが、実際に動く人がいるということですし、おそらく建設的な意見も出やすいのではないかと感じたんですよね。

 

 自分の町に対して建設的な意見を持つ人が、国に対しては文句しか言わないということは考えにくい。

少なくとも、的を射た批判になっているのではないか、と思うのです。

 

 建設的な意見は、他人事な視点からは出てこないんです。たぶん。

 

 本当は不平不満も反対意見も大事な時もあるんですけどね。

実は願望の裏返しだったりもするからです。

 

 

 もしかしたら、こんな本が参考になるかもしれません。

本質までは書かれてませんが、

一歩目としては悪くないはずです。

 

 昭和の考えとか、声の大きな人だと、上の人の考えを押し付けて物事を進めていく人もいるでしょうが、それも1つの手ではあると思います。

(どこかで簡単につまずきそうですけど)

 

 

 

③建設的な話ができる人になっていく

 

 少し前から③のテーマになってきてますが、

建設的な話って、意外と大変に感じてませんか?

相手によるところはありますが、実は意外と難しいことはありません。

 

 必要なのは「知らない事を知ろうとする姿勢」なんですよね。

僕の中では、ミステリー小説のような「謎解き」と考えています。

ミステリー小説でも情報集めが必要不可欠ですし、あり得ないような状況が現れても、事実と認めた上で、どのような要素があれば目の前のことが現実に起きるのか?

そして、犯人は誰なのか?と探っていく訳ですよね。

まぁ「あり得ない…」と探偵役が事実から目を逸らしてしまったら元も子もないんですけど笑

 

 つまり、相手よりも自分の視点次第なのです。

例えば相手の話が、自分の知らない話だった時に

「それって、どういうことですか?」と聞ければいい話です。

知ってる話だったとしても、自分の理解と食い違ってないかの確認として、あえて聞いてみるのも大事な事だと思います。

もちろん忙しいタイミングに聞いてはダメですけど笑、

人間同士なんて、様々な事を確認しながらいかないと

簡単に勘違いしてすれ違うものです。

 

 アニメでも、映画でも、相手の意思を確認しに行くなんてシーンは、意外とたくさんありますよね。

 

 大事なのは言葉1つよりも、相手の意図。

どんな意図で、その発言をしているのか。

 

 そうやって雑多な情報から、やろうとしていることに対して必要な情報までを集め、すれ違いを減らし、仲間を作り、物事を進めていくのです。

 

 極一部の天才以外は、そうせざるを得ないと思います。

 

 

 

 最近、挨拶って大事なテクニックかもしれないと思っています。

挨拶した時の効果を考えてみると、相手の中で「知らない人」から「挨拶してくれた人」に、ほんの少しだけランクアップすると思うんですよね。

そこで翌日とか、機会あるごとに挨拶できれば「いつも挨拶してくれる人」に、また少しだけランクアップします。

仕事なら、かなりの確率で最初に自己紹介をすると思うのですが、そうなれば「○○さん、おはようございます」と言うことができて、これまた少しランクアップします。

あえて言えば「名前も覚えてくれて、挨拶してくれる人」でしょうか笑

 

 この段階では建設的な話の30歩手前かもしれません。

ここまでやる必要ある?とも思うかもしれません。

だからこそ、他の人が意外とやってないからこそ、価値があるんですよね。

たぶん。

 

 さらに少しずつランクアップさせていったら、こちらが口下手でも何かあった時に話しかけてもらえる可能性も増えますし、何より自分が気まずい思いをしなくて良くなっていきます笑

そんな中で相手の情報も少しずつ増やしていって、例えば「○○さんなら△△のこと知ってるかも?」と頼れる可能性のあるあてが出来たりする訳です。

 

 こうなれば少なくとも、建設的な話が出来る23歩手前までは来たんじゃないでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

④自分のことを知っていく、言葉にしていく。

 

 世の中には常識というものがあって、合わせないといけない事が多いから、実は自分の事って、意外と大切にしていないものだったりしませんか。

加えて、学校等の集団生活で学ぶ「自分の意見を持つ」的なことは、前提に常識や空気を必要とするので、どうしても深い話にはしにくいと思うのです。

 

 でも、ここで大事だと感じることは「その人自身の言葉」を言語化していくことだと思っています。

 

 人によっては自分よりも他人の気持ちに気づく事が多いかもしれません。

それならそれで、相手を見ている目線を自分に向けて見ればいいのだと思います。

 

 

 

 

 考えるよりも色々な事を見てみる、やってみる事。

いきなり飛び込む行動力で何とかすることもできますが、そんな行動力を持っているのは一部の人だけなので、基本的に情報を集めなければできません。

 

 道具の金額、できる場所、やり方、初心者でも大丈夫そうか?不安なら教えてもらえる機会はあるのかどうか等々、色々と出てきます。

調べてみると、意外と何とかなるものです。

 

 例えば、音楽をやりたいとして、

ロックとクラシックとヒップホップでは必要な楽器も違います。

曲は誰かのコピーをやるのか、それともオリジナル?

オリジナルを作るのなら1人で曲を作るのか、バンドでみんなで作るのか?も違う。

バンドを組むのなら、誰かに声かけたりバンドメンバー募集の案内に返答してみないといけないです。

(場合によっては誰かが誘ってくれるのを待つ事もできますが効率は悪いですよね…)

メンバーが揃いました。

さて、練習はどこでやりますか?

 

...

 

 

 これだけ書いたって、きっと一部分に過ぎません。

ビビりましたか?笑

音楽をやってる人は、これらを最初から全て想定して始めたのでしょうか?

きっと、みんな違うはずです。

一歩進めたら見えてきた事があって

次の事を考え始める。

そんな中で失敗もしてるはずですし、

音楽は辞めて違う事をやってる人も大勢いるはずなんです。

 

 「やってみたけど違った」は成果なんですよね。

 

 そうやって、自分に出来ること、やりたい事を探して見つけた人は強いと思いませんか。

 

 思いがけない着地点なんかもあると思うんです。

 

 それよりも、やりたい事を探していたり、

既にやっている人は周りの人の事も大切に出来る人が多い印象がありますし、

ガチでやってる人ほど、違うジャンル〜分野を認めてたりする印象です。

 

好き嫌いを意図して、他ジャンルはねばいいとか言う人もいたりしますが笑

(一部、マジな話にしてるところもあったようですけど苦笑)

 

 

 自分の事をしっかりと認識できると、自分の判断基準も定まってきますし、

例え形は違えども、相手も同じように何かが繋がって今の状況になっていることが分かってくるのだと感じます。

つまり、対等に向き合うことが出来るはずなんです。

それが、ここに書いた理由の1つでもあります。

(経験が増えれば誰しも変わっていくことはあるでしょうけど)

 

 

 

 

 

 

⑤世の中の仕組みについて見ていく

 

世の中、腐っているように見えていたとしても、

そうなっているのには理由があると思うのです。

 

 なので、

それが成立してるのなら、どういう事が言えるのか?

と、見ていくということです。

 

 

例えば、

「腐った政治家が存在は何故、存在するのか?」

「何故、一定数の人には認められるのか?」

「そもそも、本当に腐っているのか?」

「腐っていなかったとしたら?」

 

というように考えられます。

 

 

 

「腐った政治家が何故、存在するのか?」

    

利権に群がる人がいるから。

    

それはどんな人たちなのか?

    

政治家たち、大企業、有力者などではないか。

    

利権を得ているとしたら大企業のトップは社内ではどういう風に見られてるのか?

大企業の社員はトップが悪いように思われていても、まじめに働けるの?

千〜万単位の人間がいるのに、現実的ではない。

となると、違う側面もあったりするのか?

案外、腐った政治家も応援してくれる人の間では立派だったりする?

であれば、人望があるということになるし、人間としては間違ってない。

なぜなら、応援してくれる人を優遇するのは人情。

何故、そんな視点は一般には広まらない?

ネガティブキャンペーンなるものがあるから?

 

...

 

 

 

「政治家が腐っていなかったとしたら」

     

政治家たちは何をしようとしている?

     

経済を優先にするのなら、

烏合の衆の1億人を相手にするより、

大企業の集まる経済団体を相手にしたほうが

国益に関しては効率は良さそう。

     

だから、大企業は大事にされる。

     

なら、問題は政治よりも下の世代から

上を凌駕する人たちが現れないことだったりしないか?

     

ホリエモン(見せしめとして?)2000年頃に潰されたんだっけ?

なら、邪魔なのは経済団体だったりする?

でも、今の大企業の代わりになれる存在がいないと国レベルではどうにもならないのではないか?

なら、どうすれば今の大企業の代わりは生まれる?

もしくは大企業がまた昭和の勢いを取り戻すとしたら何が必要?

 

...

 

 

 

 と、例えば僕が考えたことを一部分、書いてみましたが、

あくまで仮説です。

仮説なので、断定はできませんし、

違う視点からの問いを繰り返す等の検証が必要になってきます。

 

 ですけど、世の中に垂れ流しになっている情報よりは、

建設的な話にできそうな気がしませんか?

 

 

 

 

 

当然のことながら、その界隈の人間じゃない限り

正確な情報なんて入ってこないんですけど、

大枠に関しては推測はできるはずなんです。

 

間違う可能性は、もちろんありますが、

相手のことを知らないと、

本当に適切な批判すら出来ないんです。

 

見えてない世界があるからといって、

垂れ流しの情報を鵜呑みにするのも、

分かりやすい陰謀論を安易に信じるのも、

まともな意見は生まれにくいと考えます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最後まで読んでくださる方がいましたら

本当にありがとうございます。

 

 

 

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